解剖学はラテン語で anatomia といいますが、これは古典ギリシャ語 ἀνατομία に由来し、さらに ἀνατέμνειν(切り開く、切開する)にさかのぼります。
ἀνά は「上へ・ばらばらに」、τέμνειν は「切る」を意味し、もともと「切り分けて内部構造を見ること」が解剖学の原義でした。英語 anatomy、フランス語 anatomie、ドイツ語 Anatomie、オランダ語 anatomieは、いずれもこの系統に属します。オランダ語を基に西洋医学を継受した日本では、「解(ほど)く」・「剖(さ)く」という字を当てて、「解剖学」と訳しています。
中世以降、ヨーロッパの医学ではラテン語が国際的な学術語として用いられましたが、その医学語彙の重要な部分はラテン語、さらにその語源を溯れば古典ギリシャ語に由来しています。たとえば「肝臓」を表す hepar は古典ギリシャ語 ἧπαρ に由来し、「肝炎」hepatitis も同じくギリシャ語系です。同様に pancreas は古典ギリシャ語 πάγκρεας に由来し、pancreatitis も同系です。
もっとも、解剖学用語には身体部位として日常的に頻出する語彙も多いため、auris, dens, lingua, manus, nasus, os, vena などのように、明らかにラテン語固有の基本語も多いです。したがって、現代ヨーロッパ言語の解剖学の語彙は、ラテン語と古典ギリシャ語とが重なり合って成立した体系として理解するのが適切です。
- abdomen, abdominis (n.)
- arteria, arteriae (f.)
- articulatio, articulationis (f.)
- auris, auris (f.)
- bursa, bursae (f.)
- caput, capitis (n.)
- collum, colli (n.)
- cor, cordis (n.)
- corpus, corporis (n.)
- dens, dentis (m.)
- duodenum, duodeni (n.)
- fauces, faucium (f., pl.)
- gaster, gasteris (f.)
- glandula, glandulae (f.)
- hepar, hepatis (n.)
- ligamentum, ligamenti (n.)
- lingua, linguae (f.)
- manus, manus (f.)
- musculus, musculi (m.)
- nasus, nasi (m.)
- nervus, nervi (m.)
- nervus ischiadicus (m.)
- oculus, oculi (m.)
- oesophagus, oesophagi (m.)
- os, oris (n.)
- os, ossis (n.)
- ovarium, ovarii (n.)
- pancreas, pancreatis (n.)
- pharynx, pharyngis (m.)
- prostata, prostatae (f.)
- pulmo, pulmonis (m.)
- splen, splenis (m.)
- thorax, thoracis (m.)
- uterus, uteri (m.)
- vena, venae (f.)
abdomen, abdominis (n.)
腹。
英語 abdomen、フランス語 abdomen、ドイツ語 Abdomen は、学術語としてほぼそのままラテン語を受け継いでいます。日常語としては英語 belly、ドイツ語 Bauch、フランス語 ventre などもありますが、医学ではラテン語系が優勢です。日本語では「腹」「腹部」です。
語源については諸説ありますが、古くから身体の「ふくらんだ部分」を指す語として用いられてきました。現代医学では abdominal(腹部の)という形容詞がきわめて頻繁に現れます。たとえば abdominal pain は腹痛、abdominal cavity は腹腔です。病名や診断名でも abdomen acutum(急性腹症)などの表現が知られます。ラテン語の中性名詞であるため、解剖学ラテン語の記述では形容詞との一致に注意が必要です。
arteria, arteriae (f.)
動脈。「A.」と略します。
これは古典ギリシャ語 ἀρτηρία に由来します。古代には現在の「動脈」だけでなく、気管や太い管状構造を広く指すこともありました。古代医学では動脈の中には空気あるいは生命精気が流れると考えられた時代もあり、この語の意味史は医学史と深く結びついています。
英語 artery、フランス語 artère、ドイツ語 Arterie、オランダ語 arterie はすべて同系です。日本語の「動脈」は漢語訳ですが、病名では arteriosclerosis(動脈硬化)や arteritis(動脈炎)のようにギリシャ語・ラテン語系の国際語が用いられます。なお -itis は炎症を表すギリシャ語系接尾辞で、arteritis は「動脈炎」です。
ラテン語では vena(静脈)と対をなす重要語であり、医学略語として a. が動脈、v. が静脈を表す慣習は現在も継承されています。
articulatio, articulationis (f.)
関節。「Art.」と略します。
これはラテン語 articulus(小さな関節、節、小部分)から派生した抽象名詞です。さらに ars, artis(技術、技、術)と同根と考えられ、「巧みに組み合わされた部分」という感覚があります。
英語 articulation は「関節」という医学的意味のほか、「発音」「明瞭な表現」という意味もあります。フランス語 articulation、ドイツ語 Artikulation、オランダ語 articulatie も同様です。ここは言語学的にもおもしろい語で、音声学でいう「調音」、すなわち舌・唇・軟口蓋などの器官をどう“関節のように”動かして音を作るか、という意味に転用されています。日本語の「調音」は、英語 articulation の訳語です。
つまり、身体解剖学の語がそのまま言語学・音声学に入り込んでいる好例です。
auris, auris (f.)
耳。
イタリア語 orecchio、スペイン語 oreja、フランス語 oreille はみな同系で、これは一見するとラテン語 auris から遠く見えますが、俗ラテン語を経た自然な音変化の結果であり、ラテン語 auricula(小さい耳、耳たぶ、小耳)との関係が強いとされます。つまり、単純に auris がそのまま続いたというより、指小形や俗語形が優勢になったわけです。
英語 auris は日常語ではありませんが、医学や分類学では見られます。日常語の英語 ear、ドイツ語 Ohr、オランダ語 oor はゲルマン系で、ラテン語とは別系統です。
ラテン語 auris は「聴覚」との関連語を多く作り、たとえば auricular は「耳の」「耳介の」という意味になります。
語源的には印欧語の「聞く」に関連づけられることがあります。日本語の「耳」は固有語ですが、医学では「耳介」「外耳」「中耳」「内耳」など細分化された漢語が発達しています。
病名では otitis(耳炎)が有名ですが、これはラテン語ではなく古典ギリシャ語 οὖς, ὠτός(耳)に由来する oto- を用いたものです。ここにも、部位名はラテン語、疾患名はギリシャ語、という二重構造が見て取れます。
bursa, bursae (f.)
嚢。「B.」と略します。
bursa は「袋」「財布」「嚢」を意味するラテン語で、イタリア語 borsa、スペイン語 bolsa では意味も「袋」「かばん」「財布」などとそのまま引き継がれています。解剖学用語としては、英語 bursa(嚢、滑液包)に引き継がれています。他方、フランス語 bourse は「取引所」の意味でも使われ、オランダ語 beurs、ドイツ語Börse、英語 bourse もそこから派生しています。これは「袋」から「金を入れる袋」、さらに「商取引の場」へと意味が広がった例です。
解剖学では滑液包を指し、骨・腱・筋の摩擦を減らす袋状構造です。病名 bursitis は滑液包炎で、日常臨床でもよく用いられます。語の意味の中心に「袋」があるため、解剖学・経済・教育(奨学金の意味の bourse)などに派生が見られる、興味深い語です。
caput, capitis (n.)
頭(部)。
ラテン語の代表的基本語で、英語 capital、captain、フランス語 chef、capital、ドイツ語 Kapital などと遠く関係します。原義は「頭」であり、そこから「先頭」「主要部」「首長」「資本」という意味が発達しました。イタリア語 capo はラテン語 caput の有力な後継語で、「頭」だけでなく「長」「先端」「章」も意味します。たとえば capitolo(章)は同系です。スペイン語では日常語の「頭」は cabeza ですが、これもラテン語 capitia などと関連づけられます。cabo は「端」「岬」の意味に残っています。英語 capital city は「首都」ですが、これは国家の「頭」にあたる都市という発想です。
解剖学では頭部一般を指し、capitis は属格で「頭の」を意味します。病名との関係では、直接 caput- を使うことは相対的に少ないものの、解剖記載では caput femoris(大腿骨頭)のように頻出します。
言語史的には、「頭」が「主たるもの」を意味するという意味拡張は多くの言語に普遍的で、日本語でも「頭(かしら)」が長・首長を意味します。
collum, colli (n.)
頸(部)。首。
この語は現代語にもきれいに継承例されており、イタリア語 collo は形も意味もかなり近く、スペイン語 cuello は音変化していますが明らかに同系です。この語から派生して、イタリア語 colletto(襟)、スペイン語 cuello de la camisa(シャツの襟、首回り)などの表現もあります。
英語では日常語 neck が普通ですが、学術語として collar や collum が残ります。collar は首に巻くもの、つまり collum に由来する語です。フランス語 col、ドイツ語 Kollum は一般語としてはあまり使いませんが、解剖学用語・植物学用語などでは見られます。
首は頭部と体幹をつなぐ重要部位であり、意味拡張も多彩です。ラテン語では比喩的に瓶の首、器物のくびれも表せます。日本語の「頸部」「頸椎」「頸動脈」などの医学漢語と対応させると理解しやすいでしょう。
病名との関係では cervical がよく使われますが、これはラテン語 cervix(首、項、子宮頸部)に由来し、collum とは別語です。ラテン語には「首」を表す語が複数あり、意味領域が細かく分かれていました。
cor, cordis (n.)
心臓。
印欧語の非常に古い基本語で、古典ギリシャ語では καρδία が対応し、そこから cardio- が現代医学で広く使われます。英語 cardiac(心臓の)は、こちらのギリシャ語の系統です。英語 cardiology(心臓病学)、tachycardia(頻脈)、pericardium(心膜)など、病名・専門語の多くもギリシャ語系です。
これに対し、イタリア語 cuore はラテン語 cor から自然に発達した形です。スペイン語 corazón はかなり形が変わっていますが、これも同系です。フランス語 ではcœurです。イタリア語 cordiale、スペイン語 cordialにはラテン語の語幹 cord- が派生語に残っており、いずれも「心からの」「親切な」を意味します。英語 cordial と同じです。 もともと「心を元気づける」飲み物を指し、さらに「心からの」「親切な」という意味に転じました。身体部位語が心理・感情の語へ広がる典型例です。日本語でも「心」が臓器と精神の両方を表す点で興味深い類似があります。
corpus, corporis (n.)
体。
ラテン語の中でもきわめて基本的な語で、イタリア語 corpo(体)、スペイン語 cuerpo(体)、フランス語 corps(体)、ドイツ語 Körper(体)に引き継がれています。英語では、 corpse(死体)、corps(団)、corporation(法人)に引き継がれています。日本語では、「体」「身体」「体幹」などと訳されています。
言語学では corpus(コーパス) が「言語資料集」を意味するのが有名です。これは「ひとまとまりの本体」という意味から出た転用です。現代言語学の corpus linguistics は「コーパス言語学」と訳されます。
この語は「身体」と「組織体」の両方を表すため、法学の corpus delicti(犯罪の客体・犯罪事実の本体)や神学・政治思想にも広く入り込んでいます。身体語彙の抽象化の典型です。
dens, dentis (m.)
歯。複数形は dentes。
英語 dental(歯の)、dentist(歯科医)、フランス語 dent(歯)、ドイツ語 Dental-(歯の)、オランダ語 dentaal(歯の)などの語源です。日常語の英語 toothやドイツ語 Zahn はゲルマン系の語ですが、医学・専門語ではラテン語系 dent- が優勢です。日本語の「デンタル」、「デンチャー」(入れ歯)などの外来語にも残っています。
派生語としては dentition(歯が生えること、歯の状態、歯列)、edentulous(無歯の)などがあり、歯科医学ではきわめて生産的な語根です。
印欧語の古い基本語であり、英語 tooth とは別系統に見えても、より深い歴史層では親類関係が想定されます。こうした「日常語はゲルマン系、専門語はラテン系」という二重構造は、英語医学語彙の大きな特徴です。
duodenum, duodeni (n.)
十二指腸。12はラテン語で duodecim。
これはラテン語 duodenum digitorum「十二本の指の幅の(腸)」の省略形です。すなわち、古代の解剖学者がその長さを「指十二本分」と見たことに由来します。英語 duodenum、フランス語 duodénum、ドイツ語 Duodenum、オランダ語 duodenum とほぼ共通です。日本語の「十二指腸」は非常に見事な訳語で、原義を忠実に伝えています。
病名 duodenitis は十二指腸炎、duodenal ulcer は十二指腸潰瘍です。
fauces, faucium (f., pl.)
口峡。
喉の奥、つまり、口腔から咽頭への狭い通路のことです。この語は通常複数形で用いられ、複数形だけで使われる語、いわゆる pluralia tantum(絶対複数)の一例として文法的にも興味深い語です。解剖学において、口蓋扁桃が存在する扁桃窩(へんとうか)を含む、咽頭への入り口を指します。英語 fauces も医学用語としてそのまま使われます。語の中心イメージは「狭い入口」「口状の開口部」であり、地理的に峡谷の入口を比喩的に表すこともありました。
ラテン語には、身体部位でも複数形が固定化した語がいくつかあります。日本語では単数・複数の区別が表面化しないため見えにくいですが、ラテン語では文法数が意味に関与することがあります。病名形成ではあまり日常的ではありませんが、口腔・咽頭の解剖記載で重要です。
gaster, gasteris (f.)
胃。
これは実は純粋なラテン語ではなく、古典ギリシャ語 γαστήρ の借用語(外来語)です。現代医学の gastric、gastritis(胃炎)、gastroenterology(消化器学)はすべてこのギリシャ語語根 gastr- に基づきます。日本で胃薬の商品名「ガスター」が知られていますが、語源的にはこの γαστήρ と関係します。
日常ラテン語で「胃」を表す基本語としては stomachus もあり、こちらもギリシャ語 στόμαχος に由来します。英語 stomach、フランス語 estomacはこれを引き継いだものです。
現代イタリア語・スペイン語でも、日常語としてはギリシャ語由来の stomachus 系統(イタリア語 stomaco、スペイン語 estómago)が優勢ですが、その一方、学術語ではgaster系統(イタリア語 gastrico、スペイン語 gástrico)が用いられます。
glandula, glandulae (f.)
腺。
これは glans, glandis(どんぐり)からの派生語で、「どんぐりのような小さな粒・膨らみ」が原義です。形態に基づく命名の典型で、解剖学用語にはこうした比喩的命名が非常に多く見られます。身体内部の見えにくい器官を、既知の物体にたとえて名づけるという方法は、古代から近代まで解剖学用語形成の基本でした。
イタリア語 ghiandola はやや音変化していますが、スペイン語 glándula はよりラテン語形に近いです。英語 gland、フランス語 glande、ドイツ語 Glandel もこれに由来します。他方、ドイツ語の Drüseはゲルマン語系の言葉です。
病名では glandular fever (腺熱)のような表現で、形容詞 glandular (腺の)が使われます。
hepar, hepatis (n.)
肝臓。肝炎は hepatitis。
これは古典ギリシャ語 ἧπαρ に由来する語で、ギリシャ医学の影響をよく示します。現代医学の hepatic(肝臓の)、hepatitis(肝炎)、hepatology(肝臓学)などはこの語根から作られます。
「肝臓」は英語で liver、ドイツ語で Leber、オランダ語で lever ですが、これらはゲルマン語系の言葉です。これに対して、フランス語では foieといいますが、これはは俗ラテン語 ficatum に由来し、これは本来「いちじく(ficus)で肥育した動物の肝臓」を意味した表現でした。したがって、その語源は現代の「フォワグラ」(foie gras:脂ののった肝臓)のような「肥育肝」の発想に由来しますが、その後この語は意味を広げて、単に「肝臓」一般を表す語になりました。つまり、「肝臓」という器官一つにも、古典医学語、日常語、料理文化由来の語が重なっています。
病名 hepatitis(肝炎)は hepat- + -itis で、医学語形成の典型例です。主要なものとして、hepatitis A virus (HAV) による hepatitis A(A型肝炎)、hepatitis B virus (HBV) による hepatitis B(B型肝炎)、hepatitis C virus (HCV) による hepatitis C(C型肝炎)があります。そのほかにもD型とE型があり、D 型肝炎は hepatitis D virus (HDV) によるもので、通常、 B 型肝炎ウイルス感染がある人に関連して起こります。
ligamentum, ligamenti (n.)
靭帯。帯。「Lg.」と略します。
これはラテン語 ligare(結ぶ)から作られた名詞で、「結びつけるもの」が原義です。語形成上、-mentum は道具・結果を表す接尾辞で、「結ぶためのもの」という構造が明確です。
英語 ligament、フランス語 ligament、ドイツ語 Ligament、オランダ語 ligament はそのまま継承しています。イタリア語では legamento、スペイン語では ligamento です。
なお、同語根に ligation(結紮:けっさつ)があります。これは、手術において血管や組織を糸で縛り、止血や切断・閉鎖を行う外科手技をいいます。
lingua, linguae (f.)
舌。
ラテン語では lingua が「舌」という身体器官を意味すると同時に、「ことば」「言語」も意味しました。例えば、「ラテン語」のことは lingua Latina といいます。これは、日本語で「舌」は「ことば」を意味しないのと対照的ですが、英語でも tongue が「言語」を意味することもありますから(mother tongue 「母国語、母語」)、或る程度普遍的な意味拡張です。
イタリア語では lingua がそのまま「舌」と「言語」の両方を意味します。スペイン語 lengua やフランス語 langue も同じです。英語 lingual も「舌の」と「言語の」の両方を意味します。これに対し、フランス語 langage や英語 language は「言語」のみを意味します。
言語学では linguistics(言語学)、bilingual(二言語の、バイリンガルの)、multilingual(多言語の、マルチリンガルの)などがこの語根に由来します。解剖学の身体語が、そのまま言語学の中心語彙に発展した代表例です。
manus, manus (f.)
手。
イタリア語でもスペイン語でも mano といいます。フランス語 main です。英語でも manual(手の)という形で残っており、ラテン語由来の英語である manuscript は「手で書かれたもの」、manufacture は本来「手で作ること」です。
解剖学では上肢末端の手を指し、足 pes と対比されます。また、中世写本文化では manus の観念が非常に重要で、「手」が労働、技術、筆写、支配の象徴となりました。身体部位名が、文化史・書物史・労働史へそのままつながる語です。
musculus, musculi (m.)
筋肉。
もともと musculus は mus(ネズミ)の指小形で、「小ネズミ」を意味しました。これは、解剖学語彙の中でも特に有名な語源です。皮膚の下で筋肉が動く様子が、小ネズミが走るように見えたためと説明されています。イタリア語では muscolo、スペイン語では músculo です。英語 muscle、フランス語 muscle、ドイツ語 Muskel などにも継承されています。
英語では muscular, musculature という語もあります。muscular は「筋肉の」です。musculature は「筋肉組織」で、身体の筋肉組織全体や、一定の動作に関係する筋肉構造を指す解剖学用語です。
「筋炎」は myositis といいますが、これは古典ギリシャ語の μῦς(筋、ネズミ)という語に由来します。ラテン語でも古典ギリシャ語でも「筋」と「ネズミ」が同じ語で結びついており、古代人の比喩感覚の共通性が窺えるのが大変興味深いですね。
nasus, nasi (m.)
鼻。
イタリア語 naso はラテン語にかなり忠実ですが、スペイン語 nariz はかなり異なります。形容詞としては各国語に受け継がれており、英語 nasal、フランス語 nasal、ドイツ語 nasal、オランダ語 nasaal など(いずれも「鼻の」)、広く用いられます。音声学でいう「鼻音」 nasal は、気流が鼻腔を通る音を意味します。
英語 nose、ドイツ語 Nase、オランダ語 neus は、ラテン語 nasus に形は似ていますが、いずれもゲルマン語側で継承された同根語と考えられています。ラテン語 nasus との関係は借用ではなく、さらに古い印欧祖語の共通語根にさかのぼると考えるのが普通です。Etymonline は nose を古英語 nosu、祖ゲルマン語 *nuso- に由来するとし、これとラテン語 nasus はともに印欧祖語 *nas-「鼻」に由来すると説明しています。
医学では nasus 自体よりも naso- がよく使われ、nasopharynx(鼻咽頭)などの複合語を作ります。
日本語の「鼻音」「鼻腔」「鼻中隔」などと対応づけると、構成要素の理解が容易になります。
nervus, nervi (m.)
神経。
ラテン語 nervus はもともと「腱、筋、弦」のような張力あるひも状のものを意味し、後に神経の意味が発達しました。イタリア語 nervo、スペイン語 nervio、英語 nerve、フランス語 nerf、ドイツ語 Nerv はそれぞれ異なる形で継承しています。現代語で「神経」は解剖学的意味だけでなく、「気力」「度胸」「いらだちやすさ」なども表します。イタリア語 avere i nervi やスペイン語 tener los nervios は「イライラしている」「気が立っている」、英語 He has a lot of nerve. は「彼は度胸が良い/図太い/図々しい」です。
英語の形容詞 nervous と neural は、どちらも「神経の」という意味ですが、前者がラテン語 nervus に由来するのに対し、後者は古典ギリシャ語 νεῦρον に由来します。nervous は、nervous system(神経系)という場合のように「神経の」という意味で使用しますが、そのほかに日常語として「緊張した」「不安な」「神経質な」といった意味もあり、例えば I’m nervous about the exam. (試験が不安だ/試験で緊張している)のように心理的意味で使われます。これに対して、neural はもっと専門的・医学的な語で、「神経の」「ニューロンの」という意味です。例えば、 neural activity(神経活動)、neural tissue(神経組織)、neural network (ニューラルネットワーク)のように使います。心理的な「緊張した」という意味では使いません。neurology(神経内科) も古典ギリシャ語の系統の言葉です。
nervus ischiadicus (m.)
坐骨神経。
ischiadicus は古典ギリシャ語 ἰσχίον(股関節、寛骨のあたり)に由来します。ラテン語 nervus に、ギリシャ語系形容詞 ischiadicus が結合している点が、とても興味深いです。イタリア語 nervo sciatico または nervo ischiatico、スペイン語 nervio ciático、英語 sciatic nerve、フランス語 nerf sciatique、ドイツ語 Ischiasnerv / Nervus ischiadicus、オランダ語 heupzenuw 系の表現が対応します。
中世以降の医学ラテン語では病名として sciatica が用いられ、英語にもそのまま受け継がれています。意味は、「坐骨神経痛」です。
oculus, oculi (m.)
目。眼。
ラテン語 oculus は「目」「眼」のほかに、比喩的に「芽」「穴」「監視の目」も表します。イタリア語 occhio、スペイン語 ojo、フランス語 œil が、ラテン語 oculus に由来します。さらに、英語 ocular(目の)、oculist(眼科医)の語源です。日常語ではゲルマン語系の英語 eye、ドイツ語 Auge、オランダ語 oog が用いられます。
医学では oculomotor(動眼神経の)、binocular(双眼の)など、多くの複合語が作られます。
oesophagus, oesophagi (m.)
食道。
これは古典ギリシャ語 οἰσοφάγος に由来し、しばしば「運ぶものを食うもの」と説明されますが、厳密な語源解釈には議論があります。ともあれ古代ギリシャ医学由来の語であることは確かです。
英語はイギリス式では oesophagus、アメリカ式では esophagus、フランス語 œsophage、ドイツ語 Ösophagus、オランダ語 slokdarm(日常語)/oesofagus(学術語)です。日本語は「食道」です。
病名では esophagitis(食道炎)、esophageal cancer(食道癌)などがあります。
英語の綴字差 oe- / e- は、古典語由来語彙が近代英語で簡略化されてきた歴史を示す好例でもあります。
os, oris (n.)
口。複数形は ora。
これは「口、顔、言葉、入口」など広い意味を持つ語です。英語 oral、フランス語 oral、ドイツ語 oral はこの語に由来します。日本語の「オーラル」も同系です。イタリア語 bocca (口)やスペイン語 boca (口)は、同じラテン語でも os (口)ではなく bucca (頬)に由来します。
言語学・教育学では oral tradition(口承)、oral exam(口頭試問)などに見られ、身体器官から発話様式への意味拡張が生じています。
ラテン語では os が「口」と「骨」で同形になるため、辞書では属格 oris / ossis を必ず確認する必要があります。これはラテン語学習者にとって初歩的でありながら重要なポイントです。
複数形 ora は詩語で「顔貌」を意味することもあり、文学語彙とも深く結びついています。
os, ossis (n.)
骨。複数形は ossa。
英語 osseous、ossify、フランス語 osseux、ドイツ語 ossär などの源です。日常語の英語 bone、ドイツ語 Knochen とは別系列です。
病理学では ossification(骨化)、osteology(骨学)などが関連しますが、後者はギリシャ語 ὀστέον(骨)由来です。したがって、骨についてもラテン語系 oss- とギリシャ語系 oste- が並立します。
たとえば osteoporosis(骨粗鬆症)はギリシャ語系、osseous tissue はラテン語系です。医学語彙の二重構造を学ぶうえで非常に良い例です。
ovarium, ovarii (n.)
卵巣。ovum(卵)からの派生語。
英語 ovary、フランス語 ovaire、ドイツ語 Ovar, Eierstock、オランダ語 ovarium / eierstok に対応します。
語源は明快で、ラテン語 ovum(卵)に由来します。ここから ovum, oval, ovoid などの語も派生しました。
病名としては ovarian cancer(卵巣癌)、oophoritis(卵巣炎)などがありますが、後者はギリシャ語 ᾠόν(卵)+ -phor- 系の語根を含み、必ずしもラテン語だけではありません。
生殖器官の命名には、形態や機能に基づく明快な命名が多く、近代解剖学の合理主義が感じられます。
pancreas, pancreatis (n.)
膵臓。膵臓炎は pancreatitis。
古典ギリシャ語 πᾶν(すべて)+ κρέας(肉)に由来し、「全部が肉のようなもの」というのが原義です。ほかの臓器に比べて均質な肉様組織に見えたことから名づけられたとされます。
英語 pancreas、フランス語 pancréas、ドイツ語 Pankreas、オランダ語 pancreas はほぼ共通です。日本語の「膵臓」は漢字文化圏で独自に作られた専門語ですが、病名では「膵炎」に対応する pancreatitis が国際的です。
語形成の透明性が高く、古代人の肉眼観察に基づく命名であることが分かります。解剖学用語の中には、このように見た目をそのまま名称化したものが少なくありません。
pharynx, pharyngis (m.)
咽頭。
古典ギリシャ語 φάρυγξ に由来します。英語 pharynx、フランス語 pharynx、ドイツ語 Pharynx / Rachen、オランダ語 keelholte / pharynx などに対応します。
病名の pharyngitis は咽頭炎で、日常臨床でもよく使われます。
語頭の ph- はギリシャ語 φ を伝える綴字で、英語などでは歴史的綴字として残っています。発音は /f/ ですが、綴字が古典語由来を示しているのです。
このような綴字の保存は、医学英語が古典語との結びつきを強く保っていることを示します。
prostata, prostatae (f.)
前立腺。
これは古典ギリシャ語 προστάτης に由来し、「前に立つもの」「守護者、前に位置するもの」が原義です。動詞 προΐστασθαι(前に立つ)と関係します。
現代語では英語 prostate、フランス語 prostate、ドイツ語 Prostata、オランダ語 prostaat です。日本語「前立腺」も原義をうまく反映した訳語です。
病名では prostatitis(前立腺炎)、prostatic hyperplasia(前立腺肥大)などがあります。
なお、単純に pro とラテン語 stare の結合と見る説明は学習上分かりやすいのですが、厳密にはギリシャ語由来語として理解したほうが正確です。
pulmo, pulmonis (m.)
肺。
英語 pulmonary、フランス語 pulmonaire、ドイツ語 pulmonal はこの語根に由来します。日常語としては英語 lung、ドイツ語 Lunge、フランス語 poumon、オランダ語 long が普通です。
病名として「肺炎」は通常 pneumonia で、これは古典ギリシャ語 πνεύμων(肺)または πνεῦμα(息、気息)系に由来します。したがって、肺もまたラテン語系 pulmon- とギリシャ語系 pneumon- / pneum- の二系列があります。
この二重系列のため、pulmonary artery(肺動脈)と pneumonia(肺炎)が同じ「肺」に関する語でありながら、見かけ上は別物のように見えるのです。医学語彙学習では極めて重要なポイントです。
splen, splenis (m.)
脾臓。
これは古典ギリシャ語 σπλήν に由来します。英語 spleen、フランス語 rate は別系統ですが、英語では spleen がそのまま残っています。ドイツ語 Milz、オランダ語 milt は日常語です。
病名や専門語では splenitis、splenomegaly(脾腫)などが用いられます。
興味深いのは、英語 spleen が臓器だけでなく「癇癪」「憂鬱」「気まぐれ」を意味することです。古代・中世の体液説では脾臓が感情と結びつけられたためです。身体器官が性格・感情を表すようになる典型例で、言語史・文化史的に非常におもしろい語です。
thorax, thoracis (m.)
胸郭。
古典ギリシャ語 θώραξ に由来し、もともとは「胸当て」「胸甲」、すなわち胸を覆う鎧も意味しました。解剖学で胸部を囲う枠組みを表すのにぴったりの語です。
英語 thorax、フランス語 thorax、ドイツ語 Thorax、オランダ語 thorax と共通性が高い語です。
病名としては thoracic(胸部の)、thoracotomy(開胸術)などがあります。
昆虫学では頭・胸・腹の「胸部」も thorax と呼ぶため、動物学全般に広がった学術語でもあります。
uterus, uteri (m.)
子宮。
英語 uterus、フランス語 utérus、ドイツ語 Uterus、オランダ語 uterus に対応します。日常語ではドイツ語 Gebärmutter、オランダ語 baarmoeder のように「産む母」に相当する在来語が用いられることもあります。
病名では uterine(子宮の)、uterus bicornis(双角子宮)などがあり、婦人科で頻出します。
日本語の「子宮」は非常に端的な訳語ですが、漢字の「子」は子ども、「宮」は部屋・宮殿であり、こちらもまた比喩的です。
身体器官の名称には「宿す場所」「入れ物」というメタファーがしばしば用いられ、文化ごとの身体観が反映されます。
vena, venae (f.)
静脈。「V.」と略す。
英語 vein、フランス語 veine、ドイツ語 Vene、オランダ語 vene と広く継承されています。解剖学では arteria と対をなす重要語です。
病名・医学語では venous(静脈の)、venitis はまれですが、intravenous(静脈内の)は極めて一般的です。
また、比喩的に「鉱脈」「傾向」「気質」の意味でも使われます。英語 a vein of irony は「皮肉の一脈」といった意味です。身体の脈管が、地層や文体の中を走る筋へと拡張されているわけです。
こうした比喩は、身体語彙が抽象語彙を形成する強い力を持つことを示しています。
補論:ラテン語解剖学用語と現代医学語彙
以上の語を眺めると、いくつかの特徴が見えてきます。
第一に、解剖学の部位名や病名・炎症名にはギリシャ語系の語が多い ということです。たとえば、
- 肝臓:hepar → 肝炎:hepatitis
- 膵臓:pancreas → 膵炎:pancreatitis
- 咽頭:pharynx → 咽頭炎:pharyngitis
のような対応があります。とくに -itis は炎症を表す非常に重要な接尾辞です。
第二に、英語などのゲルマン系の現代語では、日常語ではゲルマン語系、学術語ではギリシャ語・ラテン語系、と二重構造がある ことです。たとえば英語では、
- 目:eye ↔ ocular
- 歯:tooth ↔ dental
- 肺:lung ↔ pulmonary
- 耳:ear ↔ aural / auricular
- 骨:bone ↔ osseous / osteal
という具合です。これは、日常語がゲルマン系の土台を保ちながら、学術語としてラテン語・ギリシャ語を大量に借用した歴史によるものです。
第三に、身体器官の名称が、そのまま言語学や文化語彙へ広がっている ことも見逃せません。たとえば、
- lingua は「舌」から「言語」へ
- articulatio は「関節」から「調音」へ
- nasus は「鼻」から「鼻音」へ
- os, oris は「口」から「口頭の」へ
- corpus は「身体」から「資料体」「全集」へ
と意味が広がっています。身体は人間にとって最も身近な経験対象であるため、語彙の抽象化の出発点になりやすいのです。
第四に、語源を知ると、医学用語が記憶しやすくなる という実用的利点があります。たとえば musculus が「小ネズミ」、glandula が「どんぐり」、duodenum が「十二本の指の腸」、pancreas が「全部が肉」、thorax が「胸当て・鎧」であると知れば、単なる暗記語ではなく、形や機能のイメージを伴った語として記憶できます。

