漢字の多くが偏(へん)と旁(つくり)から成るように、ラテン語の単語の多くも前綴りと基本動詞の組合せからできています。基本動詞に前綴りが加わることで新たな意味が生じ、多くの名詞もそこから派生します。そのため、前綴りを学ぶことは、漢字の偏を学ぶのに似た効果があります。前綴りと基本動詞を知れば、語彙を体系的に整理して覚えやすくなり、単語の意味も推測しやすくなります。
さらに、ラテン語の語彙は現代ヨーロッパ諸語にも広く受け継がれています。したがって、ラテン語の前綴りを身につければ、英語・フランス語などの現代語の語彙理解や未知語の類推にも役立ちます。
今回は、「trans-」「tra-」を前綴りとするラテン語動詞をご紹介します。これらの動詞の多くは、英語・イタリア語・スペイン語・ポルトガル語・フランス語でも「trans-」「tra-」を前綴りとする動詞として受け継がれています。
「trans」は「~を越えて(über … hin, über … hinaus)」、「~の向こう側へ(jenseits)」という意味の前置詞(対格支配)ですが、前綴りとしても使用されます。前綴りとして使用される場合には、「向こう側へ」「越えて」「貫いて」「別の場所・別の状態へ移して」という意味を添えます。したがって、空間的には「渡る」「横切る」「越える」という意味を表しやすく、抽象的には「移す」「変える」「変換する」「翻訳する」といった意味が派生しやすいです。なお、前綴りとして用いられる場合、発音のしやすさの関係から tra- と約まることがあります。
trado, tradidi, traditum, tradere
trans(向こう側へ)+dare(与える)。ここから、「引き渡す」という意味になる。また、子孫や後代に「引き渡す」ということで、「伝える」、「伝承する」という意味も出てくる。名詞形は「traditio」で、ローマ法では「引渡」の意味でよく出てくる。英語・ドイツ語・フランス語の「tradition」(伝統)はここから来ている。つまり、本来は「手から手へ向こう側に渡していくこと」である。
traduco, traduxi, traductum, traducere
trans(向こう側へ)+ducere(導く)。文字通り「向こうへ導く」であり、「連れて渡る」、「横断させる」、「移す」という意味をもつ。また、抽象化して「他の言語へ導き移す」というところから、「翻訳する」という意味も出てくる。名詞形は「traductio」。フランス語で翻訳を「traduction」というのはここからである。スペイン語の traducir、イタリア語の tradurre も同系である。英語では translate が一般的になったため、この動詞の影は薄いが、語源的には重要である。
transeo, transii, transitum, transire
trans(向こう側へ)+ire(行く)。文字通り「向こう側へ行く」、「渡る」、「越えていく」という意味。名詞形は「transitio」。現代英語でも「transit」(通過)を使うが、日本語でも飛行機の「トランジット」として使われる。比喩的には、「一つの状態から別の状態へ移る」という意味も出てくる。
transfero, transtuli, translatum, transferre
trans(向こう側へ)+ferre(運ぶ)。文字通り「向こう側へ運ぶ」、「移す」という意味のほか、抽象化して「別の言語へ移す」ということで「翻訳する」という意味が出てくる。名詞形は「translatio」。現代英語でも、「transfer」(移す)や「translation」(翻訳)が使用されるほか、「translate」(翻訳する)が使用されるが、これは「translation」からの逆推知によって生み出された語であろう。中世ラテン語・教会ラテン語では、遺物や聖人伝の「移送」にも用いられる。
transfiguro, transfiguravi, transfiguratum, transfigurare
trans(別の姿へ)+figurare(形づくる)。つまり、「姿を変える」、「変容させる」。単なる移動ではなく、形態そのものを別のものへ変えることである。名詞形 transfiguratio はキリスト教文献で「変容」を意味し、英語 transfiguration、フランス語 transfiguration もここから来ている。
transfluo, transfluxi, -, transfluere
trans(越えて)+fluere(流れる)。つまり、「流れ越える」、「通り抜けて流れる」。液体や時間などがある範囲を越えて流れていくという意味を表す。名詞 transfluus なども同系である。文語的な語であるが、trans- の原義がよく見える。
transformo, transformavi, transformatum, transformare
trans(別の形へ)+formare(形づくる)。つまり、「変形する」、「姿を変える」、「変換する」。英語 transform、フランス語 transformer、イタリア語 trasformare、スペイン語 transformar はここから来ている。原義としては「形を越えて別の形へ移す」である。
transfundo, transfudi, transfusum, transfundere
trans(向こう側へ、移して)+fundere(注ぐ)。つまり、「注ぎ移す」、「注ぎ替える」、「移注する」。液体を一つの容器から別の容器へ移すイメージである。そこから比喩的に、「感情や性質を移し込む」という意味にもなりうる。英語 transfuse、transfusion はここから来ている。
transgredior, transgressus sum, transgredi
trans(越えて)+gradi(歩む)。つまり、「歩み越える」、「越える」、「逸脱する」。物理的には境界を越えること、抽象的には規則・限界・法を「踏み越える」ことを意味する。名詞 transgressio は「違反」「逸脱」であり、英語 transgress、transgression はここから来ている。デポネント動詞である。
transigo, transegi, transactum, transigere
trans(向こうへ、完全に)+agere(動かす、進める)。つまり、「やり遂げる」、「処理する」、「決着をつける」。ある案件を向こう側へ押し進めて終わらせる、という発想である。ローマ法・後代ラテン語では「和解する」「取引を成立させる」という意味も重要である。名詞 transactio は「和解」「取引」であり、英語 transaction はここから来ている。
transilio, transilui, -, transilire
trans(越えて)+salire(跳ぶ)。つまり、「飛び越える」、「跳び移る」。ある障害や間隔を、足で越えて向こう側へ移ることである。比喩的には、「話題を飛ばす」「省略する」の意味にもなりうる。
transmitto, transmisi, transmissum, transmittere
trans(向こう側へ)+mittere(送る)。文字通り、「向こう側へ送る」とか、「向こうへ移す」という意味。名詞形は「transmissio」。現代英語でも「transmit」(伝送する)、「transmission」(伝送)として使用される。もともとは、物・人・情報を自分の側から向こう側へ送ることである。
transmuto, transmutavi, transmutatum, transmutare
trans(別の状態へ)+mutare(変える)。つまり、「変化させる」、「変質させる」、「変成させる」。英語 transmute はここから来ており、錬金術・化学・思想史などで重要な語である。単に動かすのではなく、性質そのものを変える点に特徴がある。
transnato, transnatavi, transnatatum, transnatare
trans(越えて)+natare(泳ぐ)。つまり、「泳いで渡る」、「泳ぎ越える」。川や海峡などを泳いで向こう側へ行く場合に用いられる。trans- の空間的意味が非常に明瞭である。
transplanto, transplantavi, transplantatum, transplantare
trans(向こう側へ)+plantare(植える)。つまり、「植え替える」、「移植する」。名詞形は本来 transplantatio である。現在も英語・ドイツ語・フランス語で transplantation が使用される。植物を別の場所へ植え替えるだけでなく、医学では臓器の「移植」にも用いられる。
transporto, transportavi, transportatum, transportare
trans(向こう側へ)+portare(運ぶ)。つまり、「運び移す」、「輸送する」、「搬送する」。transferre よりも、より具体的・物理的な運搬を表しやすい。英語 transport、フランス語 transporter、イタリア語 trasportare、スペイン語 transportar はここから来ている。名詞 transportatio も「輸送」を意味する。
transscribo, transscripsi, transcriptum, transscribere
trans(向こうへ、別の形へ)+scribere(書く)。つまり、「書き写す」、「転記する」、「写本する」。ある媒体から別の媒体へ、あるいはある場所から別の場所へ書き移すことである。名詞 transcriptum は「写し」「謄本」であり、英語 transcript はここから来ている。
transverto, transverti, transversum, transvertere
trans(横切って、向こうへ)+vertere(向ける、回す)。つまり、「向きを変える」、「そらす」、「転じる」。特に「横向きにする」「脇へそらす」というニュアンスがある。ここから transversus(横向きの、横切る)が生じ、英語 transverse はここから来ている。
transvolo, transvolavi, transvolatum, transvolare
trans(越えて)+volare(飛ぶ)。つまり、「飛び越える」、「飛んで渡る」。鳥や矢などが空間を越えて向こう側へ行く場合に用いられる。これも trans- の空間的な原義がよく見える語である。
traicio, traieci, traiectum, traicere
trans(向こう側へ)+iacere(投げる)。つまり、「向こうへ投げる」、「横切って渡す」、「貫く」。そこから「突き通す」「刺し通す」「横断する」という意味が出てくる。名詞 traiectus は「横断」「通過」「海峡横断」などを意味する。イタリア語 tragitto、英語 trajectory とは直接にはやや迂回した関係だが、同じ iacere 系の語群として理解できる。
trajicio と表記されることもあるが、古典的綴りとしては traicio が基本である。
後代語形や印刷習慣では trajicio も見られる。
trans- は、大きく分けると次のような意味方向をもっています。
1. 空間的に「越える」「渡る」
- transeo 渡る
- transgredior 越える
- transilio 飛び越える
- transnato 泳いで渡る
- transvolo 飛んで渡る
2. 物を「向こう側へ移す」「運ぶ」
- transfero 移す
- transmitto 送る
- transporto 輸送する
- transfundo 注ぎ移す
- traicio 投げ渡す、貫く
3. 状態・形を「別のものへ変える」
- transformo 変形する
- transfiguro 変容させる
- transmuto 変質させる
4. 抽象的に「別の領域へ移し替える」
- traduco 翻訳する
- transfero 翻訳する
- transscribo 書き写す
- transigo 処理する、決着をつける
現代語との関係で特に重要なもの
現代ヨーロッパ諸語に強く残っているのは、たとえば次のような語です。
- trado → tradition
- traduco → traduction, traducir, tradurre
- transeo → transit
- transfero → transfer, translation
- transmitto → transmit, transmission
- transformo → transform
- transgredior → transgress, transgression
- transmuto → transmute
- transporto → transport
- transplanto → transplant
- transscribo → transcript

