ラテン語化学用語集

ラテン語

化学(chemia)は近代科学として成立した学問ですが、その語彙や発想の背景には、古典ギリシャ語、アラビア語、中世ラテン語、そして錬金術の伝統が深く入り込んでいます。そもそも西洋の錬金術は、いきなり中世ヨーロッパで始まったのではなく、まずヘレニズム期からローマ期にかけてのエジプト、とくにギリシャ語文化圏のエジプトで形成されたと考えるのが基本です。そこでは、ギリシャの自然哲学、エジプトの金属・染色・ガラス・鉱物加工の技術、さらに宗教的・秘教的な思想が混ざり合い、金属の変成や物質の精製をめざす独特の学知が成立しました。古代ギリシャ語でこの技芸は τέχνη(技術、術)とも呼ばれ、後には χημεία あるいは χυμεία という語も現れます。したがって、西洋の「化学」「錬金術」の源流をたどると、出発点にはすでにギリシャ語で記された技術的・哲学的伝統が存在していたことになります。

その後、古代末期から中世初期にかけて、このギリシャ語の錬金術文献や自然哲学的知識は、シリア語を経由しつつアラビア語圏へ翻訳・継承されました。つまり、中世アラビアの錬金術は、古代ギリシャとは無関係に突然生まれたのではなく、ギリシャ語の学問遺産を受け継ぎ、それを再編成し、理論化し、実験技術の面で大きく発展させたものです。イスラーム世界では、アリストテレス的自然学、医薬学、鉱物学、工芸技術が錬金術と結びつき、蒸留・昇華・溶解・結晶化・焼成などの操作が体系的に洗練されていきました。ブリタニカも、アラビア語圏の錬金術が、ギリシャの伝統を受けつつ独自の中心地と展開を持ち、後世に大きな影響を与えたと位置づけています。

さらに重要なのは、このアラビア語の錬金術が、十二世紀以降にラテン語へ大量に翻訳され、中世ヨーロッパ錬金術の直接の土台になったという点です。したがって、中世ヨーロッパの錬金術は、古代ギリシャの流れをまっすぐ受け継いだというより、むしろギリシャ起源の学知がアラビア語世界で整理・増幅され、それがラテン語世界へ再輸入されたものと見るほうが実態に近いです。語の上でもこの流れは明瞭で、「化学・錬金術」に対応する語は、後期ギリシャ語 χημεία からアラビア語 الكيمياء (al-kīmiyāʾ) に入り、さらに定冠詞 al- をつけた形のまま中世ラテン語 alchimia や古フランス語 alkimie へ入って、近代語の alchemychimie, chemistry へつながっていきました。つまり、語源そのものが、ギリシャ語→アラビア語→ラテン語という知の継承経路を記録しているのです。

この文脈でとくに重要になるのが、硫黄と水銀の理論です。中世アラビア錬金術の代表的な考え方の一つは、すべての金属は硫黄と水銀という二つの原理から成り、その純度や配合比の違いによって金・銀・銅・鉄・鉛などの差が生じる、というものでした。ブリタニカも、中世アラビア錬金術の主要な着想の一つとして、金属は硫黄と水銀のさまざまな比率から成るという理論を挙げています。ここでいう「水銀」は、単に液体金属としての Hg そのものだけでなく、金属的な光沢、流動性、可鍛性、揮発性を代表する原理としても理解されました。他方「硫黄」は、可燃性、着色性、乾いた性質、燃えやすさを代表する原理として考えられました。つまりこれは、現代化学の元素論ではなく、金属の性質を二つの基本原理で説明しようとする物質論だったのです。

この理論が重要だったのは、第一に、多様な金属を一つの枠組みで説明できるからです。金・銀・銅・鉄・鉛・錫がまったく別のものではなく、同じ二原理の配合差にすぎないのだと考えれば、ある金属を別の金属へ変える「変成」も理論上は不可能ではなくなります。たとえば鉛に含まれる硫黄と水銀の比率や純度をうまく変えれば、より高貴な金属、ひいては銀や金に近づけられる、という発想が成り立つわけです。したがって、卑金属から貴金属への変成という錬金術の中心目標は、この硫黄・水銀理論によって、単なる幻想ではなく「理論的にありうる操作」として支えられました。

第二に、この理論は実験操作と結び付きやすかったため重要でした。水銀は実際に液体で、金属とアマルガムを作るという目に見える特異な性質を持ち、硫黄もまた燃焼し、金属と反応し、色や匂いの点で非常に印象的な物質です。ブリタニカや RSC が強調するように、水銀は古代以来きわめて特異な金属として認識され、硫黄もまた可燃性と鉱物処理の両面で際立っていました。つまり、硫黄と水銀は単に理論上便利だっただけでなく、実験室で実際に扱うと「金属の本性」を象徴しているように見える物質だったのです。このため両者は、思想的にも技術的にも、錬金術の中心へ据えられました。

さらに後代になると、ヨーロッパではパラケルススがこれを発展させ、硫黄・水銀・塩の三原理説(tria prima)へ広げました。もっとも、ご提示の箇所でまず押さえるべきなのは、中世アラビア錬金術の段階で、すでに硫黄・水銀理論が金属観の中心をなしており、それがラテン中世へ受け継がれたということです。ヨーロッパ中世の錬金術は、この理論を受け入れつつ、キリスト教的宇宙観、医薬錬金術、哲学者の石の探求などと結びつけて再展開しました。したがって、アラビアの錬金術とヨーロッパの錬金術は別物ではなく、翻訳と継承によって連続する一つの知的伝統の前半と後半として理解するのが適切です。

要するに、化学語彙と化学思想の前史をたどると、まずギリシャ語で書かれたヘレニズム期の錬金術的自然観があり、それがアラビア語世界で保存・理論化・技術化され、さらにラテン語世界へ翻訳されて中世ヨーロッパ錬金術の基礎になりました。そして、その中心にあった硫黄・水銀理論は、金属の違いを説明し、金属変成の可能性を理論づけ、しかも実験室の経験ともよく結び付くため、錬金術全体を支える骨格になったのです。近代化学は最終的にはこの理論を捨て去りましたが、物質を共通原理で理解しようとする姿勢や、実験操作を通じて理論を確かめようとする態度には、錬金術から受け継いだ重要な遺産が残っています。

aqua, aquae (f.)

水。

ラテン語 aqua は、イタリア語 acqua、スペイン語 agua、フランス語 eau、英語 aquatic, aquarium, aqueous、ドイツ語 Aquädukt などに痕跡を残しています。日常語としては英語 water、ドイツ語 Wasser、オランダ語 water がゲルマン系ですが、学術語ではラテン語系 aqua- / aque- が優勢です。化学式は H₂O で、化学史的にはラヴォアジエ以後、「水は元素ではなく化合物である」という理解が定着しました。

言語史的にも、水はもっとも古い基本語の一つですが、学術語としては古典語が再利用されます。たとえば aqueous solution は「水溶液」であり、ラテン語 aqua がそのまま近代科学英語の一部になっています。日本語の「水」は固有語ですが、「水族館」の「aquarium」などではラテン語の影響を外来語として感じ取れます。

hydrogenium, hydrogenii (n.)

水素。

名称は古典ギリシャ語 ὕδωρ(水)と -γενής(生む、作る)に由来し、「水を生むもの」という意味です。英語 hydrogen、フランス語 hydrogène、イタリア語 idrogeno、スペイン語 hidrógeno、ドイツ語 Wasserstoff、オランダ語 waterstof と対応します。英仏伊西はギリシャ語系名称を保ちますが、独蘭は「水の物質」という自国語訳を採っています。

化学史的には、十八世紀後半に近代命名法が整えられる中で、ラヴォアジエ派の命名が定着しました。水素の命名は、近代化学がギリシャ語要素を用いて国際語を作った代表例です。錬金術の世界では水素そのものは独立元素としては把握されていませんでしたが、金属と酸の反応、可燃性気体の生成などをめぐる研究が近代化学へつながっていきます。

oxygenium, oxygenii (n.)

酸素。

名称は古典ギリシャ語 ὀξύς(鋭い、酸っぱい)と -γενής に由来し、原義は「酸を生むもの」です。ただし、これはラヴォアジエの時代の理論に基づく命名で、すべての酸に酸素が必須だという理解は後に誤りと分かりました。英語 oxygen、フランス語 oxygène、イタリア語 ossigeno、スペイン語 oxígeno、ドイツ語 Sauerstoff、オランダ語 zuurstof。独蘭の語は「酸の物質」という翻訳語です。

ここには、化学命名が「理論と一緒に歴史を背負う」という面がよく出ています。名前は残ったが理論は修正された、という例です。言語史的には、学術語が必ずしも永遠に正しい定義を反映するわけではないという点で、とても示唆的です。

nitrogenium, nitrogenii (n.)

窒素。

名称は古典ギリシャ語 νίτρον(硝石)と -γενής に由来し、「硝石を生むもの」という意味です。英語 nitrogen、フランス語 azote / nitrogène、イタリア語 azoto、スペイン語 nitrógeno、ドイツ語 Stickstoff、オランダ語 stikstof。ここは諸語の分岐が面白く、フランス語・イタリア語は「生命を支えない」を意味する azote / azoto 系も強く、独蘭は「窒息させる物質」という意味の翻訳語を用います。

つまり、同じ元素でも、ギリシャ語由来の国際名、フランス語系の別名、自国語訳が併存することがあります。ラテン語風の nitrogenium は、元素記号 N の理解には役立ちますが、実際の近代化学では各国語ごとの歴史も無視できません。

aluminium, aluminii (n.)

アルミニウム。

名称はラテン語 alumen(明礬)に由来し、RSC はその意味を「bitter salt」と説明しています。イタリア語 alluminio、スペイン語 aluminio、フランス語 aluminium、英語 aluminum / aluminium、ドイツ語 Aluminium、オランダ語 aluminium。英語だけが aluminumaluminium の揺れを持つ点は有名です。

明礬は染色・皮なめし・医薬・錬金術で重要な鉱物でした。つまりアルミニウムの名は、近代元素としての発見以前から、中世の実用化学・錬金術で知られていた物質名に根ざしています。ここにも、「元素の近代名は、鉱物や薬品の古名から育った」ことが見て取れます。

argentum, argenti (n.)

銀。

ラテン語 argentum は英語 argent、フランス語 argent、イタリア語 argento、スペイン語 argento(日常語は plata)、ドイツ語 Argentum(学術語)などに反映します。元素記号 Ag はこのラテン語形に由来します。

銀は金と並んで古代から知られ、錬金術でも主役でした。中世・近世には金属と天体が対応づけられ、銀はしばしば月と結びつけられます。化学史以前の金属観では、銀はただの元素ではなく、宇宙論・占星術・医薬の中にも位置づけられていました。

aurum, auri (n.)

金。

元素記号 Au はラテン語 aurum に由来します。英語の日常語は gold ですが、記号はラテン語のほうを保存しています。イタリア語 oro、スペイン語 oro、フランス語 or はラテン語系、ドイツ語 Gold、オランダ語 goud はゲルマン系です。RSC も、英語名はアングロ・サクソン系だが、記号はラテン語 aurum から来ると説明しています。

錬金術との関係では、金は最終目標でした。卑金属を金へ変える「変成」は、錬金術の象徴的課題です。そのため aurum は単なる物質名を超え、完全性・純粋性・完成のメタファーも帯びました。言語史的にも、金に関する語はしばしば「輝き」「朝」「光」と結びつくことがあります。

cuprum, cupri (n.)

銅。

元素記号 Cucuprum に由来します。古代にはキプロス島の銅が有名で、ラテン語 aes Cyprium(キプロスの金属)から cuprum が生じたと説明されるのが通例です。現代語ではイタリア語 rame、スペイン語 cobre、フランス語 cuivre、英語 copper、ドイツ語 Kupfer、オランダ語 koper など、多くがこの系統を引いています。

銅は錬金術七金属の一つで、しばしば金星と結びつきました。語史的には、地名が金属名に変わり、それがさらに複数言語の一般語へ広がった好例です。

ferrum, ferri (n.)

鉄。

元素記号は Fe です。英語名 iron はアングロ・サクソン語系ですが、記号はラテン語 ferrum を残しています。イタリア語 ferro、スペイン語 hierro、フランス語 fer、ドイツ語 Eisen、オランダ語 ijzer。ラテン語系の語とゲルマン系の語が分かれる典型例です。

RSC は鉄の図像に鉄の錬金術記号を用いています。鉄は古代から知られた金属であり、錬金術でも極めて重要でした。火星との対応も有名で、武器・戦争・強さの象徴にもなります。化学史的には、鉄は元素というよりまず「文明の素材」であり、製鉄・鋼・合金が社会を変えました。

stannum, stanni (n.)

錫。

元素記号 Sn はラテン語 stannum に由来します。英語 tin、フランス語 étain、イタリア語 stagno、スペイン語 estaño、ドイツ語 Zinn、オランダ語 tin。ロマンス語ではラテン語の痕跡が濃く、ゲルマン語では別語が一般化しました。

錫は青銅製造に不可欠で、銅との合金として文明史上非常に重要でした。錬金術では木星との対応を持ちます。元素としては目立たなくても、合金史では中心的な役割を果たしてきた金属です。

stibium, stibii (n.)

アンチモン。

元素記号 Sb はラテン語 stibium に由来します。BNL によれば stibium はギリシャ語 στίβι 系にさかのぼり、眉やまつ毛を黒くする化粧料との関連が指摘されます。一方、英語名 antimony について RSC は anti-monos を語源説明として掲げていますが、これは語源学的には議論の多い説です。少なくとも、記号 Sb は stibium を通じて古い東地中海世界の化粧・鉱物語彙につながる、という点が重要です。

錬金術ではアンチモンは重要な準金属で、金属精錬や化粧・医薬とも関係しました。ラテン語・ギリシャ語・アラビア語圏の鉱物語彙が重なっているため、言語史的にも非常に面白い語です。

sulphur / sulfur, sulphuris / sulfuris (n.)

硫黄。

名称は古く、RSC はサンスクリット系説とラテン語 sulfurium 系説の両方に触れています。英語 sulfur / sulphur、フランス語 soufre、イタリア語 zolfo、スペイン語 azufre、ドイツ語 Schwefel、オランダ語 zwavel。ここではラテン語名と各国語日常名の乖離が大きいです。

硫黄は錬金術でとりわけ重要で、ブリタニカも水銀と硫黄が中世アラビア錬金術の中心理論だったと説明しています。可燃性、匂い、火山との結びつきのため、硫黄は「火」と「変成」の象徴でもありました。化学史では、燃焼・鉱石焙焼・火薬・酸製造と広く関係します。

arsenicum, arsenici (n.)

砒素。

RSC によれば、名称はペルシア語系の黄顔料名に由来し、それがギリシャ語 ἀρσενικόν に入ったとされます。ここには東方語彙がギリシャ語・ラテン語を経て近代化学へ入った経路が見えます。英語 arsenic、フランス語 arsenic、イタリア語 arsenico、スペイン語 arsénico、ドイツ語 Arsen、オランダ語 arseen

砒素は顔料、毒物、鉱物学、医薬の境界にある物質で、近代以前の「薬か毒か」という曖昧さを体現しています。化学史では、元素・顔料・毒の三つの顔を持つ存在でした。

boron / borum / boronium

ホウ素。

元の表の boronium は近代ラテン化の一形ですが、語源説明では元素名 boron の由来を見るのが分かりやすいです。RSC は、boron がアラビア語 بورق (būraq)、すなわち「ホウ砂(borax)」の名に由来すると説明しています。英語 boron、フランス語 bore、イタリア語 boro、スペイン語 boro、ドイツ語 Bor、オランダ語 boor

ホウ砂は中世実験化学・錬金術で**フラックス(融剤)**として重要でした。金属精錬やガラス製造にも関わるため、元素名が鉱物名・実用品名から生まれた好例です。アラビア語語彙が中世ラテン語を経て近代科学語へ入った代表例として、とても示唆的です。

natrium, natrii (n.)

ナトリウム。

元素記号 Nanatrium に由来します。LOC は、Na が natrium から来ること、またこうした記号が古いラテン名や歴史的名称を引き継ぐことを説明しています。RSC では英語名 sodiumsoda 由来とされますが、記号の由来は別に natrium 系にあります。

語源の背後には nitron / natron 系の語があり、炭酸ナトリウム鉱物や洗浄用アルカリと結びつきます。ここでアラビア語 نطرون (naṭrūn) やギリシャ語 νίτρον を思い出すと、鉱物・ガラス・錬金術・洗浄文化が一つにつながります。日本語「ナトリウム」はドイツ語 Natrium の影響が強い外来語です。

kalium, kalii (n.)

カリウム。

元素記号 Kkalium から来ています。LOC は kaliumalkali を経てアラビア語 القَلْيَة (al-qalyah)「植物灰」にさかのぼると説明しています。英語名 potassiumpotash に由来し、独語 Kalium、オランダ語 kalium、日本語「カリウム」はこの系統を引きます。

ここでは、英語名と元素記号の由来がずれることがよく分かります。potash は灰を釜で煮詰めて得たアルカリであり、錬金術・ガラス・石鹸製造・金属精錬にとって不可欠でした。したがって kalium は、元素名であると同時に、アラビア語由来の実用化学語彙の名残でもあります。

calcium, calcii (n.)

カルシウム。

RSC は名称をラテン語 calx(石灰)に由来すると説明します。英語 calcium、フランス語 calcium、イタリア語 calcio、スペイン語 calcio、ドイツ語 Calcium、オランダ語 calcium。イタリア語では calcio が「石灰」だけでなく「サッカー」も意味するため、同形異義として有名です。

石灰は建築、冶金、農業、医薬で古くから重要で、錬金術的にも石・火・変成の語彙圏に属します。元素カルシウムの単離は近代の出来事ですが、語の歴史ははるかに古い石灰文化に根ざしています。

lithium, lithii (n.)

リチウム。

名称は古典ギリシャ語 λίθος(石)に由来し、RSC もその旨を明記しています。英語 lithium、フランス語 lithium、イタリア語 litio、スペイン語 litio、ドイツ語 Lithium、オランダ語 lithium

この語は鉱物由来であり、「植物灰」や「鉱石」から得られた他のアルカリ金属と対比されます。化学史的には、リチウムは鉱石分析から見出された新しいアルカリ金属で、鉱物化学が元素発見を前進させた時代を象徴します。医学との境界領域では、近代には炭酸リチウムが精神科薬として重要になりましたが、それはさらに後の歴史です。

beryllium, beryllii (n.)

ベリリウム。

名称はギリシャ語のベリル名 βήρυλλος に由来します。RSC も「Greek name for beryl」としています。英語 beryllium、フランス語 béryllium、イタリア語 berillio、スペイン語 berilio、ドイツ語 Beryllium

宝石名・鉱物名から元素名が生まれるのは、近代化学が鉱物学と密接に結びついていたことをよく示します。語源の背後には、インド方面の地名にまでさかのぼる可能性が議論されており、古代交易と鉱物語彙の伝播も感じさせます。

chlorum, chlori (n.)

塩素。

名称は古典ギリシャ語 χλωρός(黄緑がかった)に由来し、元素の色に基づいています。英語 chlorine、フランス語 chlore、イタリア語 cloro、スペイン語 cloro、ドイツ語 Chlor、オランダ語 chloor

色彩語から元素名が生じる例は少なくなく、塩素の黄緑色、臭素の悪臭、クロムの色彩などは同系統の命名感覚です。錬金術そのものよりは近代分析化学・漂白・消毒の歴史と強く結びつきますが、塩類・酸・アルカリの研究が錬金術から化学へ移る過程の一部です。

bromum, bromi (n.)

臭素。

名称は古典ギリシャ語 βρῶμος(悪臭)に由来します。英語 bromine、フランス語 brome、イタリア語 bromo、スペイン語 bromo、ドイツ語 Brom、オランダ語 broom

命名が感覚印象に依拠していることがよく分かる語です。化学初期には、色・匂い・味が物質分類の重要な手がかりでした。言語学的には、物性をそのまま名前にするという古い命名法が、近代元素名にも残っているわけです。

chromium, chromii (n.)

クロム。

名称は古典ギリシャ語 χρῶμα(色)に由来します。英語 chromium、フランス語 chrome、イタリア語 cromo、スペイン語 cromo、ドイツ語 Chrom、オランダ語 chroom。RSC も、化合物の色彩が名の由来になったと説明しています。

クロム化合物は色彩豊かで、顔料・染色・皮革・装飾と関わります。したがってこの語は、単なる元素名以上に「色彩化学」の歴史を背負っています。日本語「クロムめっき」も、この視覚的な華やかさと技術史の延長線上にあります。

phosphorus, phosphori (m.)

燐(リン)。

名称は古典ギリシャ語 φωσφόρος(光を運ぶ者、明けの明星)に由来します。英語 phosphorus、フランス語 phosphore、イタリア語 fosforo、スペイン語 fósforo、ドイツ語 Phosphor、オランダ語 fosfor。RSC では発見年を 1669 年、発見者を Hennig Brand としています。

これは錬金術との結び付きが極めて強い元素です。Brand は金生成を目指す実験の中でリンを得たと伝えられ、しかも白リンは暗所で発光するため、「光を運ぶ者」という名が非常によく似合いました。錬金術的探求が、思いがけず近代元素の発見へつながった代表例です。

helium, helii (n.)

ヘリウム。

名称は古典ギリシャ語 ἥλιος(太陽)に由来します。RSC は、ヘリウムがまず太陽コロナのスペクトルで検出されたことを由来と説明しています。英語 helium、フランス語 hélium、イタリア語 elio、スペイン語 helio、ドイツ語 Helium、オランダ語 helium

化学史的には、地上でなく天体観測から先に存在が知られた元素という点で特異です。ここには、近代化学が錬金術を越えて分光学・天文学と結びついていく時代精神が表れています。

neon, nei (n.)

ネオン。

名称は古典ギリシャ語 νέος(新しい)に由来します。英語 neon、フランス語 néon、イタリア語 neon、スペイン語 neón、ドイツ語 Neon、オランダ語 neon。RSC によると、Ramsay の息子がラテン語 novum を提案したが、最終的にはギリシャ語系の neon が選ばれたという逸話も紹介されています。

ここでは、近代科学命名が「ラテン語でもなくギリシャ語でもありうる」中で、あえてギリシャ語形が採られたことが興味深いです。ネオンは都市文明・広告・ガス放電の象徴でもあり、古典語とモダニズムが出会う地点にある元素名だともいえます。

caesium, caesii (n.)

セシウム。

RSC は、名称がラテン語 caesius(青灰色、空色)に由来し、スペクトル線の青色から命名されたと説明しています。英語 caesium / cesium、フランス語 césium、イタリア語 cesio、スペイン語 cesio、ドイツ語 Cäsium / Caesium、オランダ語 cesium

ここでは視覚的性質が、肉眼でなく分光学的性質によって命名されています。臭素・塩素・クロムが目や鼻の印象から名づけられたのに対し、セシウムは近代分析機器を通して見えた色から名づけられたわけで、化学史の段階差がよく分かります。

platinum, platini (n.)

白金。

名称はスペイン語 platina(小さな銀)に由来します。英語 platinum、フランス語 platine、イタリア語 platino、スペイン語 platino、ドイツ語 Platin、オランダ語 platina / platinium。語源そのものがスペイン語である点が面白く、ラテン語化された名というより、近代ヨーロッパ語の鉱山語彙が学術語へ入った例です。

錬金術的には金・銀ほど古典的ではありませんが、白く貴い金属として、のちの冶金・触媒・宝飾で大きな役割を果たしました。名前が「小さな銀」にすぎないことは、当初それが銀の亜種のように見られていたことを物語ります。

zincum, zinci (n.)

亜鉛。

英語 zinc、フランス語 zinc、イタリア語 zinco、スペイン語 zinc / cinc、ドイツ語 Zink、オランダ語 zink。語源についてはドイツ語系語彙から説明されることが多く、ラテン語 zincum はむしろ近代学術ラテン化した形です。

亜鉛は黄銅製造、蒸留冶金、皮膜形成に重要で、中世・近世の金属技術と深く関わります。語史的には、古典ラテン語よりも近代ドイツ語圏の鉱山・冶金文化の影響を感じる語です。

germanium, germanii (n.)

ゲルマニウム。

RSC によれば、名称はラテン語 Germania に由来します。つまり「ドイツの金属」です。英語 germanium、フランス語 germanium、イタリア語 germanio、スペイン語 germanio、ドイツ語 Germanium

これは国名のラテン語形から元素名を作った例で、古典語が近代ナショナルな命名に利用されているのが面白いところです。錬金術的というより、十九世紀の国民国家時代の科学語彙です。

gallium, gallii (n.)

ガリウム。

RSC は名称をラテン語 Gallia(フランス)に由来するとします。英語 gallium、フランス語 gallium、イタリア語 gallio、スペイン語 galio、ドイツ語 Gallium

gallium / germanium を並べると、ラテン語が近代元素命名で「古典的権威づけ」の役割を果たしたことがよく見えます。古代ローマ語彙が、そのまま十九世紀科学の威信語になっているわけです。

tellurium, tellurii (n.)

テルル。

名称はラテン語 tellus(大地)に由来します。英語 tellurium、フランス語 tellure / tellurium、イタリア語 tellurio、スペイン語 telurio、ドイツ語 Tellur

これと対になるのが、月に由来する selenium です。大地と月という宇宙的対照が元素命名に入り込んでいるのは、錬金術と近代化学のあいだにまだ象徴的宇宙観が残っていることを示すようで、とても美しい対照です。

selenium, selenii (n.)

セレン。

名称はギリシャ語 Σελήνη(月)に由来します。英語 selenium、フランス語 sélénium、イタリア語 selenio、スペイン語 selenio、ドイツ語 Selen

tellurium = 地、selenium = 月 という対比は、近代元素命名の中に神話的・宇宙的想像力が息づいている例です。こういうところに、錬金術・自然哲学・近代科学の連続性が見えてきます。

まとめ

この語群を全体として眺めると、いくつか大きな特徴があります。

第一に、元素記号はラテン語形を強く保存することです。Na, K, Fe, Cu, Ag, Sn, Sb, Au などがその典型です。

第二に、元素名そのものはラテン語だけでなく、古典ギリシャ語、アラビア語、鉱物名、人名、地名に広く由来するということです。boron は بورق (būraq)、kalium は القَلْيَة (al-qalyah)、hydrogen・oxygen・nitrogen はギリシャ語系、germanium・gallium はラテン化した地名語です。

第三に、化学語彙は錬金術の遺産を色濃く残しています。金・銀・銅・鉄・錫・硫黄・水銀は錬金術の中心物質であり、リンのように錬金術的探求の副産物として発見された元素もあります。したがって、ラテン語化学用語を学ぶことは、単に元素記号暗記に役立つだけでなく、古典語・アラビア語・中世技術・近代科学がどう接続したかを学ぶことでもあります。

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